25チームを終えてーHC吉井龍平ー
- seikeilaxwebsite

- 2 日前
- 読了時間: 25分
かたしとて思ひたゆばまなにごとも
なることあらじ人のよの中
昨年、25チームの主将であるタカトキからヘッドコーチを頼まれ、「ヘッドコーチって何をすれば良いんだろう」と思う日々の中で、初詣に行った時に書いてあった言葉です。
自分にはどんな”価値”が発揮できるのか。
成蹊史上最も長く6年間関東二部に所属をし、直近2年間は入れ替え戦にもいけていない。
しかし、どこか学生は「自分達なら一部昇格ができる。当たり前だろう。」と根拠のない自信がある。
状況も環境も変化をしていく中で、正解なんてわからない。
何をすれば強い成蹊を創り上げられるのか。一部昇格を実現できるのか。
そんな状況からのスタートでした。
まさに、冒頭の言葉が今シーズンをそのまま表しているような1年間でした。
平素よりご支援、ご声援を賜り誠にありがとうございます。
25チームでヘッドコーチを勤めておりました。成蹊大学22年卒の吉井龍平です。
今シーズンを通して、改めて本当に多くの方々に支えていただいているのだと感じることができました。
特に入れ替え戦では、保護者の方々、歴代のOBOGの方々、他大学、友人など本当に多くの方々よりご声援をいただきましたこと、改めて感謝申し上げます。
本当は書かないつもりでしたが、「龍平のブログを見てみたい」というお言葉をいただきましたので、日頃の感謝と成蹊ラクロス部の見えないプロセスの部分を見ていただければと思い、書かせていただきます。
学生には書くことを伝えていないため、驚いていることでしょう。
私がコーチとして関わってきた4年間についても書こうと思っておりますので、お付き合いいただけますと幸いです。
ちなみに誰に向けてのメッセージという括りは考えていません。
成蹊ラクロス部に関わる全ての方に対して伝えたいことを伝えていきたいと思います。
そのため、まとまりがない拙い文章とはなりますが、ご了承ください。
【自己紹介】
せっかくの機会ですので、自己紹介をさせていただきます。
私は成蹊ラクロス部のOBで、21チームで副将兼DFリーダーを務めておりました。
1年生の時には、成蹊史上初のFinal4を観客席で目の当たりにし、 2年生の時にはリーグ戦に全試合出場するものの、一部から二部へ降格。
3年生の時にはコロナにより特別大会で昇格戦もなし。
4年生の時には入れ替え戦に進出するも、サドンビクトリーの末に敗れて二部残留。
最高な瞬間も最悪な瞬間もどちらも経験して引退をしました。
当時のGMの岩切さんより育成コーチを頼まれていましたが、「仕事を部活のように頑張る!!」そんな気持ちでいたため、お断りさせていただきました。
しかし、社会人になってからは学生の頃に感じていた”熱”を感じられずに、エネルギー量が減っている感覚になっていたところ、岩切さんから改めてお声がけいただきコーチを始めました。
これが私のコーチとしての始まりです。
あの時に誘っていただき本当に良かったと心の底から思っています。
そこから、 1年目は育成コーチ、 2・3年目はDFコーチ、 そして4年目にヘッドコーチを務めています。
今年の4年生は、私が育成コーチとして初めてコーチとして関わった代でもあったため、同期のような家族のような教え子達でした。
共に成長をしてきた4年間で最後一部昇格を実現をできたこのシーズンは、私にとってかけがえのないものとなりました。

【ヘッドコーチとしての覚悟】
過去・現在・未来という形でヘッドコーチとしての覚悟や私の後悔、経験や学び、そして未来について書いていきます。
今年、一部昇格を実現することができましたが、この4年間は決して上手くいくことばかりではありませんでした。
学生達に悔しい気持ちにさせてしまったのも、私のコーチとしての実力不足だったと思っています。
だからこそ、良い部分だけではなく過去の自分への戒めも込めて、まずは過去の自分について書いていこうと思います。
〜過去〜
”人間的未熟さ”
振り返ると、この言葉に詰まっていると思います。
1年目の育成コーチでは学生のことを考えるのではなく、自分自身が持っている、考えていることをそのまま伝えていました。
いわば、自分の思い通りにDFや戦術に対して教えていました。
その未熟すぎる私の犠牲となったのが、現在の4年生でした。
4年生から「龍平さんは丸くなった」と言われることがありますが、確かにあの時の私と比較をされると丸くなったと思われて当然だと思います。
2年目の時にはDFコーチをしていましたが、これも1年目の時の私と同じく、やりたいことや私が学生の時に行っていた戦術を教えていました。
自分で言うのもなんですが、私は要領が良いタイプだったため、当時は「何でできないんだろう」と思いながらコーチをしていました。
3年目になり、社会人としてもマネジメントをするようになってから、ようやく人によって価値観は異なるということ。
そして、出来ないという事実だけを捉えるのではなく、なぜ出来ないのかの真因を考えてそこに対しての打ち手を考える必要がある。ということに気がつき、行動に移しました。
そこからは、私の持っていた考え方も今の学生にとっては適切ではないのでは。
と考えるようになり、学生と共に創り上げていく。という感覚を掴むことが出来ました。
しかし、今考えると私はDFコーチだったということを言い訳に、学生や成蹊ラクロス部に真に向き合えていなかったのでは。と思います。
私の人間的未熟さにより、学生が掲げていた目標を叶えさせてあげられなかったこと。
そして、卒部式の時に2年連続で当時の4年生達に「もっと出来たと思う。
後輩にはこの思いをして欲しくない。」と後輩の前で言わせてしまったことは、今でも私が真に向き合えていなかったからなのではと思います。
〜現在〜
過去3年間のコーチの経験や、ヘッドコーチという役割になったこともあり、今年1年間はより一層覚悟を持ってコーチをしていくと決心をしました。
ここから、
・コーチを続ける理由
・25チームにかけていた想い
・ターニングポイントと学び
・今年一部昇格を実現するために行ったこと
について書いていきます。
⚫︎コーチを続ける理由
私がコーチをしている理由は大きく2つです。
1つ目が、成蹊ラクロス部に入部してくれた学生への「恩送り」です。
私が大好きな成蹊ラクロス部に入部してくれた学生達にも、成蹊ラクロス部を大好きになって欲しいという気持ちでコーチをしています。
恩送りとは、私の前職でよく聞いていた言葉で、人から受けた親切や恩を直接その相手に返すのではなく、別の人や次の世代に送って繋げていくという意味です。
私が先輩方にしていただいたように、どんどん繋げていき、成蹊がこれからも強いチームで、素敵なチームであって欲しいと思っています。
ラクロッサーからすると「ラクロスが大好きだから練習をする」なんて当たり前かもしれませんが、世間一般的には普通ではありません。
日が出る前に起きて家を出る。
練習を終わってから授業を受けて、その間に壁あてや筋トレをする。
夜にはMTGがあり、気がついたらまた明日になっている。
そんな生活を4年間続けることは、普通ではありません。
人生の貴重な時間をラクロスに費やす。ラクロスにかけてくれている。 その選択をするだけで、本当に凄いことです。
そして、私自身もそのような生活を4年間続けていく中で、色々な経験をして、人間としても成長をすることができました。
だからこそ、せめて
「成蹊ラクロス部に入部して良かった」
「間違いじゃなかった」
「成蹊ラクロス部が大好きだ」
と思ってほしい。
私が成蹊ラクロス部に入部をして成長をして、最高な仲間ができ、この何物にも代えがたい経験を、学生にも部活を通して感じてほしい・経験してほしい。
先輩方からいただいてきたこの素敵な経験、恩を今度は私が学生へ恩送りをしていきたい。
そのような気持ちでコーチを続けています。
そしてその気持ちは、今シーズンを通してより強くなりました。
2つ目は、成蹊ラクロス部への「恩返し」です。
私がコーチをし続けることにより、「OBOGの方々が成蹊ラクロス部に行ってみようかな」
と思えるような居場所を作りたいと考えています。
成蹊は良くも悪くも大学規模が大きいわけではなく、資源も限られています。
その中で成蹊が強くあり続けるためには、OBOGの方々のご支援が必要不可欠です。
実際に、今年のコーチ陣は外部校出身の方もいますが、ほとんどが成蹊ラクロス部OBです。
だからこそ、どれだけ多くの方々から応援をしていただけるか、興味を持っていただけるのかが、とても重要だと考えています。
実際に、先日の入れ替え戦では本当に多くの世代の方々が来てくださいました。
そして、あの試合を通じて、本当に多くの方からお祝いのメッセージや「チームに関わりたい」という思いも伝えていただきました。
これは、成蹊大学は偏差値がG-MARCHや早慶のように高いわけでもなく、スポーツ推薦があるわけでもないからこそ、何かしらコンプレックスのようなものを持っている子が多いからこその、独自の文化や雰囲気なのではないかとも思っています。
もちろん、成蹊大学に入学をしたくて入学をした人もいますが、部員の多くに聞くと、 「第一志望に落ちたから」「スポーツではベンチでした」という子が多いです。
成蹊ラクロス部では、そういった大学とも戦い、勝つこともできる。 倒すために一致団結する。
「下剋上をしてやるんだ」というような独自の文化・雰囲気があります。
そんな独自の文化や雰囲気の中でラクロスをしてきたからこそ、卒業をしても気にかけてくださる方や、一度離れたがやっぱりラクロス部に何か関わりたい、という方が多い気がしています。 (あくまで私の独自の見解なので、違う方も多くいると思いますが、チームとして表現するのには適切なのではと思っています)
だからこそ、私がコーチを続けて多くの世代の方を巻き込むことにより、成蹊ラクロス部に帰ってきたいと思った時に、いつでも帰って来れる居場所をこれからも作っていきたいと思います。
これは岩切さんがコーチを続けていた理由でもあります。
私が岩切さんに誘っていただき成蹊ラクロス部に帰って来られたのと同じように、私もそういう居場所を創れる存在でいたいと思っています。
⚫︎25チームにかけていた想い
さて、ここからは私がこの1年間どのような覚悟、想いでチームに関わっていたのかについて書こうと思います。
前述の通り、コーチを続ける理由の他にも、
・1年生の頃から一緒に歩んできた4年生に最高な形で引退をしてほしい
・ヘッドコーチとして学生が掲げている目標を達成させてあげたい
・強い成蹊をもう一度創り上げていきたい
このような気持ちでコーチをしていました。
私がコーチをしていた3年間の間にいろいろな言葉をかけていただくことが多かったです。
「今年の成蹊はダメそうだね」
「まだ昇格出来ないの?」
「このままで大丈夫なの?何か変えた方が良いんじゃない?」
など、成蹊のことを考えてくださっていてのお言葉ということは理解をしていますが、環境や状況は違えど学生は学生なりに努力をしていて、結果だけで学生の良し悪しを判断されること、結果で良いという判断をさせられないことにとても悔しさを感じていました。
もうこんな気持ちは自分にも学生にも味合わせたくない。
一部昇格を実現するためのプロセスを通じて、一部昇格を実現してみせる。
そして、学生達に「後悔している」「もっと出来た」という言葉を引退する時に言わせない。そんな覚悟といわば責任感を自分に課せて今シーズンを迎えました。
成蹊ラクロス部にかけていたこの想いそして今も持っているこの想いは
誰にも負ける気がしません。
⚫︎ターニングポイントと学び
今まで想いについて書いてきましたが、シーズンの初めからここまでの熱い気持ちだったわけではありません。
どのようにチームに関わり、どんなコーチでいれば目標を達成できるのか。
本当に模索をする日々でした。
ターニングポイントは、あるブログです。 新チームが始まり、少し経ってからふと、明治学院大学HCの荻原さんのブログを読み返しました。
あの瞬間から、覚悟が決まった気がしています。
「コーチとして何をすれば良いかわからない」と悩んでいる方がもしいれば、是非読んでいただきたいです。
学び①:『コーチこそ、チームの道標であるべき』
荻原さんのブログにもありましたが、「チーム力が指導者の能力(熱量、知識、経験など)を上回ることは基本的にはない。」 この考えをもとに、とにかくまずは自分が変わろうと心に決めました。
とはいえ、一部昇格の“方法”なんてわからない。
一部昇格をする“基準”だって、毎年一部の実力やトレンドは変化するし、入れ替え戦に来るチームは日本一やFinal4を目指している。
その相手に勝つには、「一部昇格を目指すチーム」ではなく、「日本一を目指しているチームに勝てるチーム」にならなければならない。
学生からはよく「一部の基準がわかりません」と言われましたが、そんなの俺にもわからない。 だって、毎年変わるし、そんな基準が明確であれば、どの大学ももっと簡単に一部昇格が出来ているはずだから。
基準も方法もわからない状況でも、今年は色々と変えてきました。
まずは、自分自身を変えようと思いました。
具体的にはヘッドコーチとして、まずは自分自身がチームのために一番動いてみる
ということから始めました。
小さいことかつ、当たり前かもしれませんが、
・集合時間に遅刻しない
・グラウンドに落ちているゴミを拾ってみる
・練習後に備品を片付けてみる
・一番声を出してみる
・他大や他チームの戦術を分析してみる
・学生に切り抜きを送りつけてみる
・学生とたくさん話をしてみる
・基準をとにかく高く設定して要望をしてみる
このようなことから意識をして、1年間やり続けました。
これがチームにどのような影響があったのかはわかりませんが、まずヘッドコーチが動いてみないことには、チームは変わらないと思います。
普段から学生に言っているのに、学生がやってくれない。
こういった場合は、 「まず自分は変われているのか」 「行動が出来ているのか」 「学生がなぜそれをやれないのかを考えてみたことがあるのか」
ここを考えると良いかもしれません。
学生は我々指導者を本当によく見ています。
口だけの人、誠意を感じない人、真に向き合っていない人には着いてきません。
とはいえ、この考えに自信を持てたのは、本当に最近です。
前述の通り、私は今年1年間、本当に誰よりも口うるさく、当たり前の基準を高く要望してきました。
「そのプレーは入れ替え戦でもするのか」 「このままで一部昇格できると思っているのか」 「考え抜いて、行動をしているのか」
常にこの問いを続けました。
主将のタカトキでさえ、頭がおかしくなりそうになっている時もありました。
しかし、成蹊の伝統になっているアグノレッジや学生のブログを見ていると、 学生のことを真に思っていること、目標達成を願っていることを、多くの学生が感じ取ってくれていました。
やはり学生は見ています。
自分が言った何気ない一言でも、学生からしたら「指導者からの一言」。
心に深く残るものになります。
私は「人は変わらない」という言葉を前までよく使っていましたが、最近は、この言葉は適切ではないなと感じています。
「人は変わらない」と決めつけて、何も行動しない人も、何も変わっていない。
人は簡単には変わらないが、「変えよう」と自分自身を変え続けようとすることで、人を変えることはできる。
これをこの1年間を通じて学ぶことが出来ました。
どこかで聞いたことあるな、と思っていたら、『ONE PIECE』の作者である尾田栄一郎さんも、似たようなことを仰っていました。
これは自戒も込めてですが、言い訳はやめましょう。
学生が変わらないのは、実は自分自身が変わっていないからかもしれません。
まずは、自分が変わる。ここから始めてみましょう。
チームを変えるにはまずは自分自身が行動をする。
これを特に学ぶことが出来た1年間でした。
学び②:『小善は大悪に似たり』
これは京セラの稲盛さんが大事にしている考え方としても有名ですが、私もこの考え方をとても大事にしていた1年間でした。
この言葉は一言で表すと、
「その場しのぎの“やさしさ”は、長い目で見ると相手のためにならない大きな悪にもなりうる」という意味です。
「自分は性格的に言えない」
「嫌われたらどうしよう」
「相手が傷つきそうだから今言うのはやめよう」
そんなことを思い、”やさしく”接するのことはかえって、不親切だなと思います。
真に学生のことを想っているのであれば言うべきです。
何かと理由をつけて、言うべきことを言えないのであれば、単に覚悟が足りていないのでは。
とも思います。
私も、過去を振り返ると思い出すのは「優しかった人」よりも、「自分のことを本気で考え、向き合ってくれた方々」です。
これは、コーチだけではなく学生も意識をするべきことだと思います。
真にチームのことを考えているのであれば、意見を伝えるべきだと思います。
今年はValueとして「demand」を掲げていました。
これを掲げていたからこそ、チームとしても求める。
意見を言い合う。
という風土が作れていたと思います。
まさに、シーズンを通して体現をしてくれていました。
だからこそ、結果につながったと思いますし、この風土は続けていく必要があるとも感じています。
学び③:『学生主体を履き違えない』
これも荻原さんがブログで書いていらっしゃいました。
成蹊は、他大学と比較すると「学生主体であるべき」という考え方が強いように思います。
これは恐らく、「桃李不言下自成蹊」という理念のもと、歴代の先輩方が自分達で考える能力をどこかのタイミングで身につけ、それが代々受け継がれているからだと考えています。
しかし、ここ数年の“二部常連校の成蹊”では、その能力を身につけられていませんでした。
前提として、理想として「学生主体」であることは、私も大いに賛成です。
極論、コーチという存在は必要ないとも思っています。
しかし、最近の成蹊にとっての「学生主体」は、どこかコーチとして関わっているにも関わらず、学生に責任を擦りつけているような感覚が、私自身にはありました。
言いたいことだけ言って、そこからは学生に任せる。
そして、良い結論を学生だけで導き出せずに、またその結論に対して外から物を言う。
振り返ると、私自身も昨年まではそうだったと思っています。
だからこそ、「考え方」を身につけてもらうように、1〜10まで言わずに「なぜその考えをする必要があるのか」という部分を常に問いかけ、導くことにしました。
その結果、気がつくと学生が主体的に考え、自分が考えていたものよりも、より良い考えを持ってくるようになりました。
想像を超えてくることに悔しさと共に、「知らない間にこんなにも成長をしていたのか」と嬉しさを感じる瞬間が何度もありました。
コーチというポジションは特別で、「コーチが上・学生が下」という構図になりがちですが、私はそうではないと考えています。
同じ目標に向かって進んでいく仲間で、ただ役割が違うだけだと考えています。
学生主体の考えが強いからこそ、成蹊独自の文化や雰囲気があるからこそ、
・自分の思い通りに学生を動かす(自分の国を創る)
・自分の考えが正しいと思い、学生に押し付ける
・責任を持たずに関わる(コミットしない)
このようなコーチは、成蹊には合わないと思います。
学生のことを真に想い、「学生主体」の意味を履き違えずに、自分のやりたいこと・あるべき姿を押し付けずに、学生とコーチが一体となり最高のチームを一緒に創り上げていく。
これがあるべき姿なのではないかと考えています。
今後、私が成蹊ラクロス部の第一線から退く時は、こういった想いや考えを理解をした方、もしくは想いを引き継いだ次の世代のOBが関わってくれたら嬉しいな。
と思っていたりしています。
学び④:『価値観を尊重する』
今の時代、特に成蹊の学生に対しては、とても重要な気がしています。
成蹊ラクロス部に入部してくれる学生は、スポーツをしている学生が基本的には多いですが、スポーツをしていなかった学生や、運動部に所属はしていたが強豪校ではなかった学生も多いです。
だからこそ、いわゆる“体育会のノリ”で関わってしまうと、 「あの人は理不尽だ」「自分のことを理解してくれない人には着いていきたくない」 と思われてしまうことが多いように感じています。
特に昨今では「多様性の時代」になってきているため、まずは学生のことを理解することが重要です。
「信頼関係を創る」「この人は自分達のことを真に考えてくれている」「この人に着いていきたい」 と思ってもらうために、まずは価値観を尊重した上で、価値観を押し付けずに関わる。
これは、特に成蹊では重要だと思います。
この学びだけは来年からコーチをしてもらうであろう、22チーム主将、24チーム主将に伝えたいので設けました。
⚫︎今年一部昇格を実現するために行なったこと
チームを変えるために、今シーズン一番意識をしたことは 「常に変化をさせること」 です。
これが一番難しかったです。
人間は変化を怖がる。例え上手くいっていなかったとしても、変えることが怖い。
「わからない」 「どうなるかが不安」 という“わからないことへの恐怖”が常に迫ってきます。
今年は、その恐怖を理解した上で、大幅に変更をしてきました。
「通例や常識なんてクソ喰らえ」 「落ちた成蹊の常識なんてない方がマシだ」
そのような気持ちで、今年は多くの変化・ストレスをチームに意識的に与え続けました。
・新シーズンが始まったタイミングで均等分けにして練習試合を行う
・データの重要性を高める
・成蹊の弱みだったフルフィールドを年間通して注力する
その他にもありますが、とにかく変化をさせていきました。
MVVの浸透もこの中に入るでしょう。
「ルールはモラルに勝てない」こんな言葉も飛び交っていました。
「成蹊は伸びない。他大はリーグ戦中に伸びるが、気がつくと成蹊は伸び悩んでしまい、大事なタイミングで負けてしまう。」
これが例年の成蹊でした。
特にここ2年間は、この傾向がとても強かったです。
だからこそ、とにかく変化をし続ける・挑戦をし続けることを常に促してきました。
千葉戦と東大戦の間だけでも、今までやってきた戦術を捨てて、一から創り上げていくということもしてきました。
その結果として、入れ替え戦で勝利をすることが出来たのだと思います。
変化に伴う恐怖を理解した上で、挑戦をして変化をし続ける。
その覚悟が必要な判断を自分達で行えたからこそ、最上級生である4年生がチームで一番成長をしていました。
技術的にも人間的にも、とても成長したなと、彼らを1年生からずっと近くで見続けていて感じました。
とはいえ、新シーズン開始時点は正直、かなり酷いものでした。
4年生のほとんどは「俺達なら一部昇格できる」という気持ちでいたと思います。
これは、主将のタカトキも感じていました。
本来なら成蹊はチャレンジャーなはずなのに、どこか王者であるかのような雰囲気がありました。
これは恐らく、彼らが一部の大学に練習試合やつま恋などで勝っていたことが背景としてあると思います。
自信がないことも問題ですが、「根拠のない自信」はとても厄介でした。
だからこそ、前述した通りストレスを与え続けて、 「俺たちは強くない。チャレンジャーだ」 という言葉を1年間通して言い続けました。
常に自分達の立ち位置を客観的に捉えた上で、現状維持をせずに常により良くなるように、成長を加速させるためのアクションをしていく。
時間はかかりましたが、学生自らそれを行えるようになったことが、25チームが上手くいった理由だと思います。
今年の幹部や4年生は、「弱い自分達」と向き合えた子達でした。
特に、主将のタカトキ、副将のソウタ、DFリーダーのゲン、元OFリーダーのタイチや元DFリーダーのケイタのブログを見ると、その当時の葛藤や、成長するための考え方・アクションが書いてあるので、是非読んでみてください。

〜未来〜
ここからは、ヘッドコーチの経験を通して、来年以降実現をしていきたいことを書いていきます。
①:『育成』
育成が全てとまでは言いませんが、育成によってそのチームが変わるというのは事実だと、とても強く感じました。
数年間行ってきたことを変えるのは難しいですが、1年生の“真っさらな状態”から変化をさせるのは比較的簡単です。
だからこそ、「1年生のタイミングでどこまで当たり前の基準を高くするのか」という環境づくりが重要だと考え、来年以降はより強く体制を作っていきたいと思っています。
例えば、
・自主練習の頻度
・武者に当たり前のように行くこと
・日々の練習の熱量
などの基準は、最初が一番重要だと思います。
1年生から「週7回自主練をすること」が普通の学生と、それが当たり前ではなく「週3回しか自主練をしない」学生だと、1年間で1,460回自主練の回数が変わってきます。
これが3年間続いた場合には、4,380回も変わってきます。
いくら質が低かったとしても、確実に週7回が当たり前の学生の方が上達しそうですよね。
こんなにも当たり前のことで、「やった方が良い」とわかっていても、それをやるチームは多くありません。
「毎年強いチームは、育成の体制や基準が高いのでは」
そう思い、今年は体制やその基準を高めようと意識してきました。
そうすると、「やらなくてはいけないこと」がとても明確になり、「育成からチームを変える」ことが出来るのではないかとより強く思いました。
育成のタイミングでどれだけ常識や基準を高めることができるのか。
これによってチームの強さは変わってくるということを、強く意識できた1年となりました。
だからこそ、「育成こそチームでの優先順位を高めるべきだ」と考えています。
”下からの突き上げ”ということも、とても強く意識したシーズンだったからこそ、チーム内での競争が“めちゃくちゃ激しい”とまではいきませんでしたが、試合に普段出ていない選手に対しても、今年は特に強く要望をすることが出来ました。
26シーズンではより育成に力を注ぎたいと思います。
②:『成蹊ラクロス部にしか出来ないことをしたい』
これは今年の初めに考えたことです。
せっかくコーチをするなら、「成蹊ラクロス部でないと出来ないこと」をやってみたい。
それが出来れば、学生達にとっても人生でかけがえのない経験が出来るのではないか。
そう思い、ずっと考えてきたことがあります。
まだまだ現実味はなく、僕の頭の中での構想、いわば夢ですが、ここからはそれを書いていこうと思います。
まず初めに、「成蹊大学の独自性とは何か」
ここから考えました。
その中でも、
・ワンキャンパス
・武蔵野市に古くからある大学
・小学校〜大学までの一貫教育
このあたりに目をつけました。
当時、U-NEXTで『ノーサイドゲーム』を観ていたところから、 「地域に根ざした、地域から応援されるチームになること」 それは結果的に「成蹊」の名前の由来や、ラクロス部の理念にも繋がるのではないか。
そう思い、私なりの「成蹊ラクロス部の形」として考え始めました。
実際に、まだ地域に向けて大きく動けてはいませんが、この話を周りにしていく中で、私の一つ下の代の副将が「広報に関わりたい」と言ってきてくれたり、岩切さんも「同じ夢を描いていた」と話してくださったりと、少しずつ輪が広がっているように思います。
少しずつでもこの夢を広げることにより、成蹊ラクロス部としての“独自の形”ができ始め、それが学生にとっては誇りになり、結果的に多くの方が成蹊に関わりたいと感じていただける。
そうすることによって、これからも成蹊ラクロス部が次の世代に繋がっていき、より強く・より良いものになっていくのではと思っています。
とはいえ、今年は「一部昇格」というMissionに全力を注いでいたため、行動にはまだ落とし込めていません。 これから少しずつでもこの”夢”を形にしていきたいなと考えています。
【最後に】
まだまだ書き続けることは出来ますが、収拾が付かなくなってしまうため、最後に感じていること、考えていることをまとめて伝えていきたいと思います。
今年の総括:
『学生が自ら変わろうと意思決定を行い、行動をしたことにより成蹊の新しい基準を作れた』
そう考えています。
そのプロセスの中で、学生がMVVの重要性に気がつき、チームとして強くなるためにVisionやスローガンを設定して、それを浸透させようと努力し続けてくれました。
「一部昇格というMissionを実現するためにこれをやれ」とこちらから強制するのではなく、 「一部昇格をするために自分たちで決めたことを、やらなくて良いのか」 「その行動は、今年のチームの方針に沿っているのか」
チームとして大事にしている“軸”を、常に意識してもらえるように問い続けました。
そうすることで、時間はかかりましたが成長が加速し、今までの成蹊とは違う風土を作れたと思っています。
だからこそ、これを読んでいる方々に声を大にして伝えたいのですが、 「学生が努力をし続けたからこそ一部昇格ができた」 と本気で思っています。
これ以上でも、これ以下でもありません。
学生が本当に頑張ってくれたと思っています。
学生のお陰で、私は最高のコーチになることが出来ました。
最高の瞬間を、大好きな成蹊ラクロス部に関わる方々と味わうことが出来ました。
これは、学生のお陰です。
私は、一部昇格をしたことよりも入れ替え戦の日、世代関係なくOB・OGの方々が応援に来てくださり、他大学の方や友人、保護者の方々など本当に多くの方に応援をしていただき、一緒に熱狂を創り上げ、成蹊の歴史を変えられたこと。
成蹊ラクロス部が「応援されるチーム」になれたことが、とても嬉しかったです。
成蹊ラクロス部の理念であり、25チームのVisionでもあった 「桃李不言下自成蹊」 を体現することが出来たことに、とても感動を覚えました。
今年1年間、とてもこだわり、学生と共に創り上げてきたこと、多くの困難があったが、それを乗り越え、一緒に目標を成し遂げられたからこそ、試合終了のホイッスルが鳴った瞬間には、気がつくと涙が溢れていました。
スポーツをしている中で「勝利」や「目標達成」をしてシーズンを終えられることは、中々ありません。
そんな経験を個人としてもチームとしても、ずっとしてこられなかったからこそ、あの瞬間は私にとって一生忘れられない瞬間となりました。
コーチをやっていて、心から良かったと感じられた瞬間でした。
本当にありがとう。
最高に大好きな皆と最高な瞬間を経験できた私は、最高なコーチだと胸を張って言えます。
改めて、本当にありがとう。
そしておめでとう。

4年生は引退をするけど、成蹊に遊びに来なさいね。
コーチを続けている理由にもあった通り、皆がいつでも帰って来れるように、どこのチームにも負けないくらいに温かくて、帰りたいと思えるチームを創って待っているよ。
さて、長くまとまりのない文章になってしまいましたが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
2025シーズンは、成蹊ラクロス部を大きく変えられた一年になったと思っています。
2026シーズンは、今年の主力だった選手がほとんどいなくなり、さらに一部の舞台で戦うこととなります。
難しいシーズンになるとは思いますが、あの入れ替え戦以上の瞬間を、そして成蹊がまだ見たことのない景色を、これからも日頃よりご支援・ご声援をいただく皆様と一緒に創り上げていきたいと考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
2025チーム ヘッドコーチ
吉井 龍平






コメント