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25チームに懸ける想いー井口聡太ー

  • 執筆者の写真: seikeilaxwebsite
    seikeilaxwebsite
  • 11月22日
  • 読了時間: 10分

同期のことが、本当に燃えるほど大好きなあすかから回ってきました。


4年副将の井口聡太です。



練習中のズボンは折れば折るほどいいし、短ければ短いほどいいと思ってます。


ただそのせいで僕の美尻が顕になってしまい、日々スタッフからの視線がかなり気にかかっていました。


皆んなバレてるからね。




まず初めに、いつも成蹊男子ラクロス部を温かく支えてくださっているOB・OGの皆様、関係者の方々、そして保護者の皆様に、心より感謝申し上げます。


さて、とうとう自分の番が回ってきてしまいました。


毎朝練習に行く自転車での30分間で何を書こうか色々考えたりもしてました。



正直に言うと、他のみんなのような“泣けるブログ”はたぶん書けないし、副将のようなかっこいいブログと書けません。


ごめんなさい。



たかときがよく言ってました。


「チームのためにちゃんと動いておかないと、いいブログなんて書けない」

今になって、その言葉がどれだけ本質的だったかを痛感しています。


隣でそれを聞いていた自分は、何を書けばいいのか、本当に悩みました。


でもたくさん悩んだ結果、このブログでは、本音でこの1年で味わった苦悩と25チームへの思いをみんなに伝えたいと思っています。


息苦しい内容になるかもしれませんが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。


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2年前の夏、合宿最終日に23チームの主将だったかずさんが言った言葉があります。


「人は簡単に変われない」


当時2年生だった自分は、「まあ、そうだよな」ぐらいにしか思えませんでした。


ただ、今この一年を振り返ると、まさに自分がこの言葉を体現したような人間だったと痛感しています。


25チームが始まり、幹部を決める場面で、副将もDFリーダーもなかなか決まりませんでした。


立候補したのは自分と、今ASをやっているくま。


立候補した理由は正直、とても薄いものでした。


「自信があったから。」


中学・高校でバスケ部のキャプテンを務め、人前に立つ経験もある。


まとめる力も、発信する力も人より長けている──そんな勘違いをしていた。


結果として自分が副将に選ばれ、その時は「副将らしさを見せる」「たかときとダブル主将のつもりで引っ張る」などと決意ばかり語っていた。


今の自分が当時の自分を見たら、間違いなくぶん殴ると思います。


結果的に副将になり、やる気だけは本当にありました。



でも、その“やる気”は役職に酔っただけの浅い熱量でした。


副将とは、「たかときの代わりにグラウンドでまとめる」「声を出す」「前に立ち続ける」

──

そんな表面的な役割だと勝手に思っていました。


けれど本当の副将の役割は、全く違っていた。



25チームのmission、vision、valueをどう浸透させるのか


チームの文化をどう作るか


成蹊ラクロスの“根っこ”の部分をどう育てていくのか


考えることは1〜3年の時とは比べものにならないほど深く、重かった。



毎日のようにあった幹部ミーティングも、ほとんどたかときが進めていた。


自分はそこに「居るだけ」。


頭で考えていても、行動に移せない。


結局、周りから見れば「考えていない」のと同じ。


この悪循環を、自分はずっと繰り返してしまっていた。



そして今思うと、

俺は“副将”という肩書にとらわれすぎていたと思う。


「これをすれば副将っぽい」


「これはチームに大きな恩恵を与えないからやらなくていい」


そんな浅はかな思考で役割を判断していた。


でも本当は、肩書きなんて関係なく、


ただ純粋に“チームのため”を最優先に動けばよかった。



信頼も評価も、後から自然に付いてくるものだった。


その単純なことに、気づくのが遅すぎた。


行動できない自分に対し、たかときは自分にこう言い放った。


「そうたはチームのことを何もやってくれない」



コーチ陣からも


「そうたが副将である意味は?」


と言われ、副将を降りる案まで出た。


でも自分は降りることは出来なかった。


たいちのように自らリーダーを降りる勇気はなかった。


「ここで降りたらかっこ悪い」「示しがつかない」


そんな厄介なプライドだけが、自分を支えていた。


正直、この1年は大学生活で……いや人生で一番叱られた1年でした。


普段から感情を外に出さない性格だから、人前で泣いたりはしなかったものの、内心では本当に悔しくて、情けなくて、何度も自分が嫌いになった。


練習帰りの自転車で、1人で泣いた日もあった。


「副将としての自分」の姿が情けなかった。


でも「逃げたくない」という気持ちだけは消えなかった。


その中で、少しずつ自分と向き合うことができた一年でもあったと思います。


最初の頃に比べれば、多少は副将らしくなっていたのかもしれない。


でも、それを判断するのは自分じゃない。


どれだけ自分が「努力しているつもり」でも、周りに見えなければ意味がない。


人に認められて初めて、人は成長する。


このことを、骨身に沁みるほど感じた。


情けない1年だったけれど、それでも一つだけ、絶対に揺らがなかったポリシーがある。



「主将のたかときを1人歩きさせないこと」


本人には多分、この想いは届いていないと思う。


俺が行動で伝えることが出来なかったから。


でも最後まで俺を見捨てず、何度も引っ張り続けてくれたのは、間違いなくたかときだった。


だからどんなに言われようとも期待されていないとしても、絶対にそばで戦うと決めていた。


1年間、本当に苦しかった。


でもこの苦しさと、周りからの支えが、自分をほんの少しだけ変えてくれたと思っている。


ブログの最初で引用した、かずさんの言葉。


「人は簡単に変われない」


この1年を経て、この言葉に自分なりの一行を付け加えたい。


「人は簡単に変われない。自分自身では。

でも、人によって変えられることがある。」



25チームのみんなが、自分という弱い人間を少しだけ変えてくれた。


未熟な副将だったけれど、この代で良かった。


この代だったから、最後まで向き合うことができたと思います。


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重たい内容はここまでにして、25チームへの想いをここからは書いていこうと思います。


結論から言えば、俺は25チームが大好きです。


でも本当に一筋縄ではいかないチームでした。


2年生は練習に来ないやつもいるし、すぐ休むやつもいる。


3年生はどこか頼りないやつが多いし、同期の4年生はときに度が過ぎることがあるし。


そんなみんなの癖が強すぎるチーム。


でも嫌いになったことは一度もなかった。


自分たちの代になって多分これは俺だけじゃないと思うんだけど結構驕っていた部分があったと思う。


つま恋で優勝して、学年試合でも決勝に行って、最初の1部との試合も勝てていた。


「自分たちは実力ある」と思っていた。


でも、ボトムアップができていない、控えが育っていない、チームの根本が脆い──そんな現実が徐々に見えてきた。



それを変えるために、今年はA・Bを作らず実力を均等に分けたチームで試合をする試みを行った。


上手い奴だけで勝てるなんて幻想を捨て、“全員で勝つチーム” を作ろうとした。


その過程で25チーム最大のターニングポイントである明星戦の敗北が起きた。


1部を目指すチームが2部中位校に負ける。


例え実力を均等に分けたチームだとしてもあってはならないこと。


そのショックは計り知れなかった。


「25チームは発足から何も変わっていない」


「このままだと去年と同じで入れ替えにも行けずに終わる」


コーチ陣からはそう言われ、初めて僕らは“強いチームではない”という現実を突きつけられた。



そこからは理念に立ち返り、MVVを巡って何度も議論した。


4年生ですら答えられないところからのスタートだった。


あの答えの無いものを永遠に皆で考えるミーティングはかなりしんどかった。


でも、苦しみながらひねり出した答えは、ゆっくりと歯車のように噛み合っていった。



みんなはお馴染みだと思うが、コーチのひかるさんのチームビルディングで何度も登場したタックマンモデルというのがある。


タックマンモデルとは、心理学者のブルース・W・タックマンが提唱した、チームが形成されてから成果を出すまでの成長プロセスを5つの段階(形成、混乱、統一、機能、散会)に分けたモデルである。



気づけば、タックマンモデルの“混乱期”を抜け、“統一期”へ進み始めていた。


1部との練習試合にも勝てるようになり、早慶との試合でも堂々と戦えた。


その勢いのまま、僕たちはリーグ戦を全て圧倒して3年ぶりの入れ替え戦へ。


相手は創部史上2部に落ちたことのない東京大学。


こんなにも美味しいジャイアントキリングがあってもいいのか。


いやジャイアントキリングじゃないか。


だって勝つべくして勝つ相手だから。




俺の頭の中には、


圧勝して1部昇格し、


たかときと龍平さんを胴上げする景色しかない。



だからこの僕の小さな野望、いや恐らく部員全員の野望を叶えるために、


ボックスメンバー、ボックス外のメンバー、


他大学のラクロス部、


そして応援してくださるOB・OG、保護者のすべての皆様。



どうか、力を貸してほしい。


さあ──総力戦で行こう。


やるよ。




最後に自分の性格上言葉では伝えられない感謝を綴ります。



コーチ陣へ


この1年間大変お世話になりました。


皆さん1人ずつからしっかりお叱りのお言葉を頂いたと思います。


やまとと軽い気持ちでアドバイスを受けようと思って開催したLINE電話で想像以上にボコボコにされたのも今となっては良い思い出です。


コーチの方々にはこの1年で自分の人間的な部分を大きく成長させてくれたと思っています。


本当に感謝しています。


1部昇格の景色をツマミにして最高に美味しいお酒を飲みましょう。


※龍平さんへ、幹部ミーティングかなんかで自分に武蔵戦で僕と龍平さんがハイタッチしてる写真を携帯のロック画面にしている所をニコニコで見せてくれた時、めっっちゃ嬉しかったです。



同期へはアグノレッジぱんぱんになるくらい書いてるので割愛しますが、一言添えるなら

僕の一生の宝物です。



家族へ


普段の生活の中では全く言えてないけど、本当に感謝しかないです。


この4年間家族の支えが無ければこんなにラクロスに没頭出来ていないと思います。


大学で部活をやるって言った時は快くOKしてくれたし、むしろやったら?とも言われてたきがします。


1年生の頃から遠い会場にわざわざ応援に来てくれたり、車で大宮けんぽでまで朝早くから送ってくれたりもしたし、部活関係の費用は率先して補助してくれたり、遠征の時もほとんど車を使わせてくれたり、感謝を並べたら恐らくキリがありません。


リーグ戦もほぼ毎試合見に来てくれて実はめっちゃ嬉しいです。


ありがとう。


この恩返しは社会人になってからちゃんとするつもりなんですけど、一旦の恩返しとして僕のこの4年間の集大成でもある1部昇格の瞬間の景色を、お届けしたいと思います。


応援席に向けてゴールパフォーマンスとかしようかな、笑


やっぱり姉に嫌がられそうなのでやめます。




最後にたかときへ


まずこの4年間でたかときに出会えて本当に良かった。


そして不甲斐ない副将で本当にごめん。


ちゃんと面と向かって言いたいこと言ってくれるし、ずっと見捨てずにここまで引っ張ってくれて感謝しかないです。


めっちゃ怒ったり指摘してくれるのに、一緒の方向に自転車で帰る時は、そんな事は忘れたように接してくれるし、俺がゴールを決めた時は真っ先に叫んで駆け寄ってくれる。


こんなに魅力的で桃李不言を体現している人はそういないと思う。


たかときが主将で、同期で本当によかった。


最後1部昇格という名のワンピース、奪りにいこうか。


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最後までお読み頂きありがとうございます。


あまりまとまりの無いブログになってしまいまひたが、本音で書いたのでお許し下さい。



とうとう次で最後のブログリレーになりました。



25チームラストブログを飾るのは、我らが海賊船の船長であり、天下の大将軍であり、三ツ星を狙うグランメゾン成蹊のシェフでもある矢野貴暁です。

 
 
 

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