25チームに懸ける想いー大ケ島健史郎ー
- seikeilaxwebsite

- 11月13日
- 読了時間: 4分
1on1で羽田空港のCAをメロメロにしているくまから回ってきました。
4年ATのジョニーこと大ヶ島健史郎です。
はじめに、OB・OGならびに関係者の方々、保護者の皆様、日頃より成蹊男子ラクロス部への多大なるご支援を賜り、心より感謝申し上げます。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
自分も思っていることを振り返りながらつらつらと書いていこうかなと思います。
「もう引退か」率直な気持ちです。

あっという間だったというのもあるけれど、あと2週間くらいでラクロスが身近にある生活ではなくなると考えると実感があまり湧かないというのが正直なところです。
雨が降っていた入学式の日に新歓ブースを回っていて、たまたま隣にいたみやとラクロス部の説明を受けたのがもう3年以上前だと思うとぞっとします。
体験会も何回か行って楽しかったのと、「練習時間は朝だから午後をフルで使えるよ」と言われたのもあって入部しました。
まあ、入部して結構序盤で午後に食い込んでくるようになったけど。
そこからはサマー、ウィンターまでは楽しかったけど結構長く感じました。
成蹊外で練習した回数は一番多い年だったんじゃないかな。
小野路での単独練でやった紅白対抗の1on1対決楽しかった。
思い返すとこの1年がやはり一番長く感じます。
23チームでは試合なんてあまり出られなかったし、ひかると一緒にふみさんに怒られてばかりで個人的にはほとんどその記憶しかないです。
もう一つ、23チームの冬に同期の退部ラッシュが始まりました。
日に日に同期が減っていくのはめっちゃ悲しかった。

24チームでは始動してすぐの10月に肩をけがしてしまいました。
それまで自分が大きなけがをするなんて考えてもいなかった。
治るまでに最初1か月と言われたのに全然痛みが取れなくて、プレーを再開できたのは2月のつま恋からでした。
その後も肩の痛みが完全に取れることはなくて、結局この年が一番プレーできた日数が少ない年でした。
けがというのは本当にはもったいない事だと思います。
その人がどんなに練習や努力を積み重ねていても一瞬でなかったことになってしまう。
ラクロスはフィジカルコンタクトからは逃れられないスポーツです。
どうしようもない怪我というのもあるでしょう。
しかし、予防できる怪我というのも確かにある。自分の場合はもともと猫背気味で肩をけがしやすかったらしいです。
自分が満足に体を動かせている時は、自分の体の怪我しやすさなどたいして意識しないものです。
だからこそ、今は「痛みなく、思い通りに動けること」そのものに感謝しているし、毎日テーピングを巻いてくれるトレーナー陣にも感謝しています。
ありがとう。
そして、25チーム。
体感時間の短さで行ったら今年が圧倒的に一番短い。
一番試合したはずなのにね。
けれどやっとここまで来た。
ついに入れ替え戦まで来た。
3年ぶりのあの舞台。
あの時は応援することしかできなかった。
でも今度は違う。
自分たちの力で勝ち取れる。
以前の全体ミーティングでたかときがみんなにイメージさせたことをはっきりと覚えている。
ナイターの入れ替え戦で大歓声の中サドンを決めきって勝利する。
あのイメージを現実にする時が来た。
やるかやるか。
勝って絶対25チームを成蹊ラクロス部の歴史に刻み込む。
人生でも二度とないような脳汁を味わいにいこう。
同期へ
バカなこともたくさんやって、でもラクロスには真剣な奴らの集まりで、部活に行きさえすれば絶対楽しいことがあった。
サマー、ウィンター、あすなろ、つま恋、大阪遠征。部活でもそれ以外でも何度笑わせてもらったか分からない。
最高の4年間をありがとう。
そして、最初30人以上いたこの代も最後は23人まで減ってしまった。
残っているのはやめない選択をした奴だけ。
この選択は正しかったと証明するには一部昇格するしかない。
絶対できる。
入れ替え戦に勝って、たかときを海賊王にして、最後に最高の思い出を作ろう。

両親へ
部費やら合宿費やらを出してくれた…ことは一度もなかったけれど、深く感謝しています。毎朝(?)おにぎりを作っておいてくれたこと、遠征のたびに車を使わせてくれたこと、浪人を許してくれたこと、大学で体育会に入るように勧めてくれたこと、何より成蹊に通わせてくれてこの同期たちに出会わせてくれたこと。
普段あまり言う機会ないけど本当にありがとう。
あともう少し、お世話になります。
次は「うるさい!」の一言で全ての会話を終わらせる、成蹊が誇るDF陣の忠犬、なべです。
彼のブログはどんな言葉で締めくくられるのでしょうか。
明日を楽しみに待ちましょう。






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