26チームに懸ける想いー本田麟太郎ー

お世話になっております。生活の質が高いのに、
なぜか1年間の転生をしたこうせいから回ってきました、
4年トップバッターを務めさせていただく、
本田麟太郎です。
まず始めに、
日頃より弊部に多大なるご声援、ご支援をいただいております保護者の皆様、OB・OGの皆様、そして全ての関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
3年前に何気なく見ていた「引退ブログ」が、ついに目前にまで来てしまった。

今まで、引退する時にどんな気持ちになるかと、考えてきたが、いざその時が来ると、
思ったより一瞬で寂しいんやなぁって気持ちである。
最後のブログということで、色々あったラクロス部生活の中で何を書こうか迷いましたが、
4年間のラクロス人生と今思っていることを正直に書こうと思います。
言葉にするのが苦手で、よく何言ってるかわからないと言われることが多い自分ですが、
最後まで読んでいただけると幸いです。
-1年-
なぜか高校生の時自分の頭脳に自信をもってしまい、挑戦するも失敗し、
普通の大学生とは違い、一年の修行期間を経て戻ってきた母校成蹊、
入学前は、理系って大変なんかな、学年違うのに友達とかできるんかな、
そんなことを考えていた。
いざ大学に入って、初めての新歓、9号館の中でビラ配りをする先輩にもみくちゃにされながら、一目散に向かった先はラクロス部。
自分は他の人と違い、すでに高校から仲の良かった友達、
先輩がラクロス部に所属していて、
お前はもうラクロス部に入部だなとか言われてたり、実際に行った体験会もすごく楽しくて、いい雰囲気だったと感じ、他のラクロスマンの入部理由である、「日本代表になれる」みたいな高い志もなく、
簡単な理由でラクロス部に入部した。(今考えたら大学で気軽に話せる話し相手が欲しかったのかも)
一年生の最初の方の練習は本当に楽しかった。
まだ何も知らないひよこだからこそ、成長の幅が多くて、グラボの仕方、クレイドルのやり方、パスのフォームなどそんな基礎のことでも楽しいことが多く、
1日1日のラクロス生活が早く感じるほどだった。
みんなでお互いを貶しあうナイターシュー練、暑すぎて寒気がしてくる航空公園練、
今でも忘れられないサマー、みんなが点とって、
ワニがゴーリとして神セーブしまくって勝利した時脳汁が止まらなかったな。
そんなこんなとにかく楽しい日々だった。
サマーが終わりウィンター、自分はATになった。俺が一番点を取るって自信を持って決めたポジションだったが、その1週間後にキープ練で骨折。
怪我を挽回するだけの努力とチャレンジ精神も持てず結果はスタメンではなく、
ベンチで試合見続ける日々。
このときから、ラクロスを楽しめず、とにかくミスをしないという、マイナス思考の日々が続いた。
ウィンターのことは正直あまり覚えていない。
-2年-
とにかくチャレンジすると心に決めた2年生。
ウィンターが終わったらすぐに、上級練に合流。
色々吸収できることが多いし、ラクロスの楽しさを再び感じれていた。
しかし、自分の実力は上がらず、裏1on1で、当時のカギさん、げんさんなどに潰される日々
(あの時はかまけいと光の見えない日々を過ごして毎日死んだ顔でラクロスしてだ気がする)。
ラクロスをするのがとにかく楽しくなかった。
こんな気持ちでやっていたらもちろん上手くなるわけがない。
そんな気持ちでやってきた、けんぽでの練習試合、自分はこの試合で、点を取れなきゃオフェンス引退という謎の枷を背負い、試合に出た。
結果は無得点、自分の中ではやり切ってたつもりだったが、当時の主将だいきさんに、
「お前この試合のために死に物狂いでやったのか、こんな簡単に諦めていいんか」
そう言われた。
自分は「はい」とは言えなかった、なぜか涙が溢れてきた、正直泣く資格すらないのに、
いつも言われているメタ認知の低さがここでも現れ、自分の中ではやったと思っていたが、
他者からしてみれば全くやっていない。
この時に一つ気づいたことがある、「今目の前にある事柄にとにかく全力をそそぐ」
自分はこの時、2年生なのにチャレンジもせず、
これもこれもみたいにいろんなことを1日の練習でやろうとしていた、超絶容量のいいやつならできるかもしれない。
しかし、俺みたいな凡人には到底できるわけない。
今2年生でもし悩んでる人、練習がつまらないと思う人がいたら、とにかく何も気にせず、
目に前のプレーに全力を注いでみてほしい。
どんどんいい方向に向かうはず!
結局自分はこの年リーグ戦には出れず、チームになにも残せなかった。
強いていうなら、アホみたいにうるさい応援くらい。
今2年生で試合に出てる人は本当に自信を持ってほしいな。
-3年-
何かチームに貢献すると思った3年。
自分は、まずはリーグ戦に出場し、チームをしたから押し上げていくという目標を立てた。
そこで、試合に出場するには、何が足りないか考えた時に、自分の強み、武器が
一つもないなと感じた。
武器を持つことは非常に重要である。
武器を持つことで、よく野球の中継ぎのワンポイント起用そんな使われ方もされる可能性も出てくる。
そこで、当時は、フィジカルがなかったからこそ、とにかく足の速さを生かし、s時に入り込んで、起点を作るか、点を取るか、そんなことを考えてた。
5月くらいか、少しずつ何かを掴み、6月の中央戦、裏で相手の意表を着いてからの
奇跡のなんちゃってカムアラ、この時は最高に嬉しかったし、久しぶりにラクロスを楽しくおもえた。
このときから自信を持ち続け、リーグ戦で初めてボックス入りすることができた。
自分の中ではすごく嬉しかった記憶がある。
しかし、初戦東洋、試合に出て何かしてやると意気込んだか、自分の役割はインホーム、
4年生やじゅんのレベルには到底敵わず、まぁそうだよなって納得してしまった
ダサい自分がいた。
そこから、何度も、一部との練習試合に出させてもらうも、いただいたチャンスで結果を残せず、自分の悪い癖である負のループが回っていき、結局情けでリーグ戦には出させてもらうも、チームに貢献することは全くできなかった。
はるとも言っていたが、自分も正直入れ替え戦で勝利し、嬉しい気持ちはある半分、
チームに対して応援することしかできなかったこともあり素直に喜べなかった。
ここまで長々と書いてきたが、自分はこの3年間、特に何もできていない。
じゅんやさない、ワニのように2・3年の時に試合で貢献すらしてないし、自分のことにいっぱいになりすぎて、周りに気配りすらできていない。
楽しいことよりも辛いことの方が多かったし、ラクロスを嫌いに思ったことも何度もある。
しかし、本当に辞めたいと思ったことは一度もない、
それはなぜか?
これは今感じている(4年間思っている)ことにもつながるが、多くの人を見返したいという気持ちがあるからである。
自分はラクロスをやっていない友達やバイトの人にまだやってるんやそんなもんやって何になるんと言われることがあるが、正直そいつらに言いたい、
ラクロスってこんないいもんなんだぞって。
けどそれを証明する、今までやってきたことを正解にするには、入れ替え戦での勝利でしか伝えられないと思う。
だからこそ、次の東大戦は死に物狂いでも勝ち、今までやってきたことを肯定したい。
また、自分の中ではもうひとつ感じたことがある、「自分自身の能力は今日自分がした行動により開花するのをまっている」。
これはある本に書いてあった言葉だが、長い間自信のなかった自分の中で響いていた言葉である。
どんなに辛いことがあっても、1日1日少しでも、何かを積み重ねていくことでいつか必ず開花することがある。
自分も、4年間やってきたが、最近になってやっと多少、自分の本当の強みを理解し、
自信を持つことができたと感じる。
今ラクロスが辛い人もいると思う。
しかしその辛さは、登っている証拠であり、自分はいつか活躍できると思い、日々ひたすらやり続けることで、いつか何か変わった景色が見れるかもしれない。
残り2週間やれることまだある。
全員が気持ちみせて、

最高の形で終われるよう、熱い心を燃やし続けよう。
ここからは少し感謝コーナをもうけます。
両親
中学から合わせると約10年間何も言わずに好き勝手、部活をやらせてくれてありがとう。
7年間のテニスを捨てて、バドミントンを始めたり、また大学では新しいラクロスを始めても、文句を言わず応援してくれてありがたかったです。
4年間ほぼ全試合来てくれた母のためにも、試合にはほぼ来てなかったけど、
金銭的に負担してくれた父のためにも、最後の試合、結果見せれるようにします。
後輩たち
いつもこんなにも変なやつに話しかけてくれて、いじってくれてありがとう!
俺はザ先輩みたいなムーブするの昔から苦手だから、気軽に接してくれて自分の中では助かってます!
みんなのおかげで、日々の練習も楽しめてるし、練習外でも、他愛もない話ができて楽しいよ!
あきと、ヘッドは俺2あきと8の負担なら考えるからよろしく!
同期
4年間本当にありがとう。
最初は年が違うからこそ、うまく受け入れてくれるか不安でビクビクしてたけど、
そんなん気にせず、楽しく愛のあるいじりをしてくれて本当に嬉しかったです。
同期がいたからこそ、辛い時もここまでやり続けることができたと思います。
最高の景色を見て、終わるためにあと2週間、気持ち見せてやりきろう。
次は、どこか似たような性格もあり色々救われ、最高のけいつ前broでもある

りょうすけくんです。




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